1990年2月に家族でイタリアへ小旅行をしてきました。ローマ、フィレンツェ、ミラノに各二泊ずつ、前回(1958年)に一度は見たがもう一度見ておきたいモノやみ損なったモノ等の美術品や遺跡などを見て回る予定である。
成田空港からモスクワ経由ローマ行きのアリタリアに乗り込むがビジネスクラスが空いているとのことで移動する。
12時20分に飛び立ち、うんざりするほど(約15時間)乗り続けて同じ日の19時過ぎに漸くローマ着。凍結したシベリアの大地と吹雪のモスクワ空港を垣間見れたのが良かった。
ローマの空港には先発していた姉娘とその友人が出迎えてくれ、ローマ駅に近いホテルに入り5名で乾杯!翌日は日曜日だったが何はともあれボルゲーゼ美術館に行き「プロスペリナの略奪」を見る。感激の再会であった。サンピエトロ寺院の広場に人々が集まっていて、何事かと思っていると12時ごろになり法王さまの祝福を受けられると言う。無節操な我々もラテン語か何だか訳の分らない言葉の祝福を有難くお受けしたのであった。
バチカン博物館はお休みなので急遽オルヴィエートへ行くこととし、ローマ駅にて弥生のつたないイタリア語で何とか切符を買う。バスに乗ってたどり着いた大聖堂は内部を修復中で、期待していたフラ・アンジェリコの絵は全く見られずがっかりしてローマに戻る。
ローマの二日目はバチカンで「最後の審判」を見たり、フォロロマーノその他の市内見物をして夕方、フィレンツェに着く。ホテルのフロントで夕食の店を紹介してもらいタクシーで30分近く走っていったお店は、愉快な料理人(店のオーナーか)に念願の骨付きステーキを焼いてもらい全員納得する。
三日目、四日目はウフィッツィ美術館で「ヴィーナス誕生」などに感激の再会を果たしたり、大聖堂やその他の美術館などを見るが回りきれず心を残しながらミラノに向かう。
五日目、先ずはサンタマリアデラグラツィエで「最後の晩餐」を見る。修復中で痛々しいが何とか宿願を果たすことが出来た。スフォルツェスコ城や大聖堂、ウインドウショッピングなどを楽しんだが、結局本場に来てオペラを見ることが出来ず残念であった。
最後の日は荷造りをしタクシーで空港に移動。成田に帰る。
イタリア美術探訪の旅
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シベリア上空 |

モスクワ空港 |

ボルゲーゼ
美術館 |

プロセルピーナの
略奪 |

サンピエトロ広場 |

フォロロマーノで
休憩 |

オルヴィエートへ
往復 |

オルヴィエート
大聖堂 |

花の都の
大聖堂 |

ポンテヴェッキオ |

ヴェッキオ橋の
弥生 |

ヴェッキオ橋の
純子 |

フィレンツェの
トラットリオ |

サンタマリアノベッラ |

ミラノ大聖堂 |

ミラノの休憩 |